生きてますよ。笑

やぁ、こんにちは。
久しぶりですねぇ。いや、しばらくの間、いろいろと悩み事があってね。
生命の価値とは何か?正義とは何か?串盛りはタレにするか塩にするか?・・・その他いろいろ。
ま、元気にはやってます。先日は仲間と飲みに行ってね。いやぁ、楽しかったなぁ。やはり、もつべきものは友、か。
終電逃がして漫喫、ついついワンピース読んで寝不足(20巻まで読んだ。クロコダイル強えぇ。)、というパターンだったけどね。苦笑
今日のところはとりあえず生存報告。
さて、録画しておいた「坂の上の雲」を見ようかとも思ったけど、明日もあるので、おやすみなさい。

あれから1年

今日、駅でディズニーランドの帰りと思われる人がミッキーの耳をつけてるのを見かけました。猫の耳はネコミミ、兎の耳はウサミミ、じゃあこれは…ネズミミミミ?笑
さて、今日は広島の仲間で飲んできました。いやぁ、楽しかった!
(タネもさわやんもホッチも教採一次受かったってさ!)
今日集まったのが、ちょうど一年前に富士山に登ったメンバーでさ、(今日来られなかった人は残念!また次回。)あの時の話もして盛り上がったんだ。
あれは、本当に大冒険だった。2泊3日で、1日目は富士急ハイランドで遊んで、(これも楽しかった。僕はあそこで働いてる友人にも会えたしね。)2日目に一気に頂上まで上がって、3日目に下山する予定でね。それが、2日目に頂上付近で大雨になって、滝のようになった登山道を登ったんだ。後半はひょうも降って来て。しかも、雷がすごくてさ、近くで稲妻がバリバリいってる状況で。でも、避難できる場所なんかなくて、とにかく進むしかないって状況だったんだ。
頂上に着いた時は、山小屋の人も、「早く避難してください!」ってかんじで、あんまし喜んでる暇もなかった。
それでさ、頂上に着いた時は、まだ体もそんなにはきつくない状態だったんだけど、頂上に泊まって朝起きたら、高山病になってて。あれは苦しかった。ひどい頭痛と吐き気がしてね。起きて1時間くらいは、何もできずに苦しむばかりだった。それで、しばらくして体調がいくらか良くなったときに、仲間が豚汁を分けてくれてね。それを食べた時に、なんかほっとしてさ。あぁ、頂上に来れたんだな、とか、この仲間で来れて良かったな、とか、誰も怪我することなくたどり着けて良かった、とか、いろんな思いがこみ上げてきて、不覚にも涙してしまった。ご来光を待たずして、まさか豚汁に泣かされるとは思わなかったよ。苦笑。でも、あの豚汁のことは一生忘れないだろうな。もちろん、富士登山全部が一生の思い出だけど。
あとさ、富士山頂には、郵便局があってね。そこから投函すると、「富士山頂」って消印がつくんだ。それでね、そこからメンバー全員が、それぞれの大切な女性に手紙を出したんだ。なんか、青春ってかんじで、いいだろ?・・・ま、知っての通り、僕は振られちゃいましたけどね。苦笑

共同事業の哲学

やぁ、こんばんは。
最近、猫のミシェルが色々といたずらをするので困るよ。でも、可愛いから許しちゃう。笑。可愛さこそ強さ、か。
だが、今日は別の猫の話だ。
先日、また庭で衰弱してる小猫を見つけたんだ。
うちにはすでにミシェルがいて飼うのは難しいし、目の前の悲劇に対して常に自分が何でもできるとは思ってはいないけど、それでも、そのまま見捨てるのは、僕のやり方ではないので、獣医に連れて行って、家で保護してたんだ。
でも、結局、助からなかった。
いずれ里親を探すつもりで、あまり情を移さないようにとは思ってたんだけど、それでも、ショックを受けた。覚悟が足りなかったんだね。まぁ、もう大丈夫だけど。
これまで、色々な死に触れてきたが、その度に、僕は、悲しみと同時に怒りを覚えるんだ。我々から大切なものを奪っていく死に対して、生命が有限である自然の摂理に対して、どうしようもなく激しい憤怒と憎悪を感じる。
そういう自然の摂理を、偉大なものとして受け入れる考えもあるだろうけど、僕はそうではなくて。自然を凌駕し、屈服させることが、人類の目指すべき世界だと思う。
いつの日か、人間は死を克服できるのだろうか?人間が死を免れ、そして、死者が蘇り、生者と死者が再び手を取り合うような理想郷、《ぼくたちみんな、死からよみがえって命をえて、おたがいにまた、みんなにも会える》ような世界が実現するだろうか?
僕は、いつかそういう世界が、物理的に、実現してほしいと思う。
と、こういう話をすると、アヤシイ宗教か何かに洗脳されたんじゃないかと誤解されることがありそうだけど、その点はご心配なく。笑。僕はそういうの嫌いだ。僕が求めてるのは、精神的なものじゃなくて、物理的なものだしね。それに、僕の思想は、自身の経験と読書によって作られている。今は、「カラマーゾフの兄弟」を読み返していて、やはり感銘を受けたし、死者の物理的復活ということに関しては、ニコライ・フョードロフに興味がある。

喜劇の可能性

今回は、結婚について、かなり真面目に考えてみました。・・・する気も無いのに。笑

「結婚はやはり一つのテストだ
みんなが真剣にそのテストに取り組むとき、そこに喜劇の可能性が生まれる。」
カート・ヴォネガットスラップスティック』より)

最近、結婚の話題を振られることが多くなりました。同期は続々と結婚してますし、年長の方は、僕くらいの歳の者に結婚の何たるかを語るのがお好きなようですしね。苦笑
個人的な希望を言えば、僕は一生独身で行きたいんですがね。結婚は、僕には合わない。絶対に。想像しただけで、マリッジブルーさ。笑
でも、結婚というものがどういうものか、興味はありますね。「婚活」ブームで、(一方で「離活」もブームになりつつあるようですが・・・。)結婚に関する情報も色々と入ってきますから。
先日見たNHKの「日本のこれから どうする未婚社会」という番組はなかなか面白かった。
この番組によると、(テレビ見ながらメモっただけなので、ひょっとすると間違いがあるかもしれないが)現在の生涯未婚率は、男性が約16%、女性が約7%ですが、予想では2020年には男性が約30%、女性が約23%になるんだとか。
若者で将来的には結婚を考えている人が男女ともに90%を超えているデータからすると、やはり結婚したくてもできない人が増えている、というのが現状のようですね。
結婚したくてもできない人が増えた理由については、これも最近よく聞く草食男子の増加、女性が男性に求める年収などのハードルが高過ぎる(20〜40代の女性に聞いたアンケートでは、女性が結婚相手に求める年収は、400万円以上が6割、1000万円以上というのも2割、という結果だったようです。)、社会的不安による影響、などの意見がありましたが、結婚したくてもできない人にアンケートを行った結婚の障害となるものは、1位・資金、2位・職業上の理由、3位・住居、という結果でした。
現在景気がよろしくない(底は打った?)のは確かですが、結婚資金の捻出が大変であることは、以前からそうであったでしょうし、他の点についても、昔に比べて特別に悪化しているとも言い難いのではないでしょうか?これらの問題そのものが深刻化したというよりも、当事者の内面でこれらの問題の重要度が増した、つまり、考えすぎて躊躇してしまう、というのが現在の傾向であるように思います。
みなさん、合理的に問題を処理しようとして、解決策が見つからないようですね。
しかし、考えてみると、結婚という行為そのものが、理屈の上ではナンセンスなものじゃありませんかね?だって、たかだか数年や数ヶ月の好調で、50年契約を結ぼうって話ですからね。その後の人生で、自分が、相手が、環境が、どう変化していくかなんて、分かりませんよ。
つまり、考え抜いて結婚に辿り着こうとして、いつまで経っても結論が出ずに行動できない、というのは、当然のことでしょう。
そこで、人はなぜ結婚するのかという問題に舞い戻る。

・・・そこに愛があるからさ!!!!!!!

・・・こういう台詞は僕には似合いませんね。笑
でも、これは割と真面目に考えてそう思った話で。理屈で考えて無理な以上、感情という強力なエネルギーの後押しがあって、初めて結婚というものが可能になるのでしょう。
そして、理屈よりも感情を優先して、結果、幸福を得た夫妻が数多く存在するのは言うまでもない。(もちろん、そうならないケースも多数ですがね。)
ま、これは、当たり前の話かも知れませんが、考えてみると、なかなか面白い問題でね。経済学者のロバート・フランクという人が、社会には、合理的な人間には解決できない問題が存在し、感情とはそういった問題に対する適応プログラムとしての役割があり、問題によっては、合理的な人間よりも、非合理的な人間、感情的な人間の方が有利な結果を得ることができる、と主張しています。(具体的にどういうことか説明すると、非常に長くなるので省きますが。詳しくは、ロバート・フランクオデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情』あるいは、山岸俊夫『社会的ジレンマ』。)
浅学にして、この説について詳しいわけではありませんが、結婚という問題も、この説によって説明できるのではないかと思います。
つまるところ、結婚したくても、考え過ぎてできない人は、頭を使うのもいいけど、もっと自分の感情、心を信じて行動してもいいんじゃないの?という話。
ま、結婚すれば全てがうまくいって自分に幸せが転がり込んでくると思いこんでる夢見るお嬢さんには、もっと頭を使うことをお勧めするがね。冷笑
しかし、感情のまま行動して失敗する、というのもよくある話。これは、我々の感情は、信じるに値するものと、そうでないものがあるからではないでしょうか。
そうであるならば、結婚に際して、信じるに足る感情とは何か?
それはズバリ、「好意」という言葉によって表すことができるでしょう。

「恋愛と情熱とは消えことがあっても、好意は永久に勝利をつげるだろう。」(ゲーテ『温順なクセー二エン』第3集より)

燃えるような恋慕の情は、短期的にはあまりあてにならず、長期的には全くあてにならない。
心理学の見地から言っても、「恋愛感情」は、3年程度しか保たないようですね。
そういった感情が冷めてしまっても、家族として、互いに好意を持っていくことができるか否か、それが結婚において重視すべき判断基準と言えるでしょう。

「恋から生まれた結婚は、ワインからとれた酢
悲しく、すっぱく、酔えない飲み物。
かぐわしい天上の美味も日々にすえ、ありふれた家庭料理の味となる」(ジョージ・ゴードン・バイロン

大事なのは、家庭料理の味を好きになれるかどうかさ。比喩的な意味においても、そうでない意味においても。笑

姑息な価値を得るより

本屋の仕事の部署が替わりました。前は、文学書・雑誌だったんだけど、今度は児童書・学習参考書に。
学参はともかく(笑)、児童書は、絵本が好きな僕にとっては楽しい部署ですね。(前の部署も楽しかったんだけど。)
今回の部署替えは、他の部署で、どうしても部署を替わりたいって人がいたので、そのとばっちりを食らったんですよ。苦笑
それが、どうも色恋沙汰絡みのようで。要するに、意中の人と同じ部署に行きたいという希望を押し通したようです。(もちろん、表だってこの理由は出してませんけど。)
でさ、ちょっと無理な部署替えだったもんだから、曜日によっては、僕が今の部署の仕事に加えて前の部署の仕事もやることになったんですよ。
ま、今の僕は、より多くの仕事をより効率良く捌く能力を磨く必要があるので、仕事が増えること自体は必ずしもマイナスではないかもしれませんがね。
しかしね、こういうやりかたは、どうかと思うなぁ。
手段を選ばない方が、(少なくとも短期的には)有利なんだろうけど、そうやって手に入れたものに、本当に価値があるのか。

「姑息な勝ちを得るより、堂々と負けた方がいい。」(北方謙三三国志 天狼の章』より)

フェニックスソフト2009夏の陣

この土日はフェニックスソフトに出場してきました。
今回は、卒業して3年目にも関わらず、ほとんどのメンバーが参加することができました。
いやぁ、僕ら、仲いいよな。笑
2回戦敗退だったけど、2試合ともナイスゲームだったと思う。みんな頑張ってたよな。気合いと声のでかさでは優勝だな。笑
さぁ、冬の大会に向けた戦いはもう始まってるぜ!

上書き不可

今日6月14日は、エルネルト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナの誕生日ですね。
彼を題材にした映画、「CHE」のDVDが出たので、購入しました。(まぁ、映画館で見てはいるんだけどね。)僕の購入した限定版では、特典としてブックレットと制作スタッフのインタビュー等を収録したディスクがついてるんですよ。これはまだ見てないけど、楽しみですね。
さて、いよいよ1週間後の6月21日、翌22日は、フェニックスソフトボール大会が開催されます。
僕たちチームじけも、もちろん参戦します。
今回は、メンバーもたくさん集まって、うれしい限り。
そのぶん、スタメン争いが激しくなってしまいますけどね。ま、スタメンも控えも、頑張ることには変わりないんだけどな。WBCの時、ホークスの川崎が、「控えでも試合に出てます!」って言ってましたっけ。いいこと言うよなぁ。
で、僕も試合に向けて練習してるわけですけど、また出くわしちゃったんですよ、この前僕に、「友達いないの?」と言い放った老婦人に。笑
今回は、「別に友達いないわけじゃないですよアピール」をしたんですけど、全然分かってくれなくて、「さびしくない?」とか「一人だと好きな練習ができるからいいわね。」とか、気を遣われた。苦笑
なんかさ、彼女の中で、「友達いないけどスポーツは好きだから一人で練習してるかわいそうな青年」ってストーリーができ上がっててさ、僕が何言っても、上書きされないんだ。笑
それで、一つ思い出した話。
5年くらい前だったかな?奥田民生広島市民球場でライブを行った時があるんですが、ライブの1週間くらい前に市民球場前でテレビのインタビューを受けたんですよ。関西系のテレビで、番組のコーナーで奥田民生の特集をやるからライブ前の地元の盛り上がりを取材したいとかで。
その時、ちょうど僕はギターを持っててね(もちろん僕が持ってたのはクラシックギターですが)、インタビュアーは、「第2の奥田民生となるべく地元でバンド活動を頑張る青年」と思っちゃったようで。
「これはクラシックギターで、奥田民生さんとは路線が違うんですよ。」って言ったんだけど、これもやっぱり上書き不可でさ、「おにーさんも、いつか市民球場でライブできるように頑張ってくださいね!」みたいなことを言われた。笑
あの映像、たぶん「第2の奥田民生となるべく地元でバンド活動を頑張る青年の声」みたいな使われ方したんだろうなぁ。苦笑
ところで、あの時、確かに僕は右手にギター持ってたんだけどさ、左手には昼ごはんのジャムパン(食べかけ)持ってたんだよね。どうせなら、もっと格好良く撮ってほしかったよ。苦笑