水滸伝

やぁ、今日は、いいニュースがあるんだ。
うちの書店でやる冬のフェア、「私のオススメ本コーナー」に、僕が推薦した本が選ばれたんだ。これで、冬のフェアでは県内のチェーン各店で僕が推薦した本が僕のコメントつきで置いてもらえるんだ。
これはうれしい。
僕が選んだ本は、北方謙三水滸伝』(全19巻)。
「十二世紀の中国、北宋末期。重税と暴政のために国は乱れ、民は困窮していた。その腐敗した政府を倒そうと、立ち上がった者たちがいた。世直しへの強い志を胸に、漢たちは圧倒的な官軍に挑んでいく。地位を捨て、愛するものを失い、そして自らの命を懸けて闘う。彼らの熱き生きざまを刻む壮大な物語が、いま幕を開ける。」(第1巻『曙光の章』より)
水滸伝といえば、中国の四大奇書の一つ。北宋時代に梁山泊という要塞に集結した108人の豪傑が官に反旗を翻す、というお話。
北方水滸伝は、この話を素材として新たに作り上げられた全く新しい話になっている。
これがとにかく面白い。エンターテイメントという点では、僕がこれまで読んできた数々の小説の中でも、最高の傑作と言っていい。
この小説を一言で言うなら、「漢達の闘い」。登場人物の生き様がとにかく格好いい。
台詞も熱い。

「ひとりでなにができる、と嗤うだろう。しかし、なんであろうと最初はひとりなのだ。」(第1巻『曙光の章』)

「人は死なぬ。忘れぬかぎり、人は死なぬのだ。悲しみの涙など、生き残った者が、自らのために流すものでしかないのだろう。」
(第2巻『替天の章』)

「ただ同じ夢を抱いて、闘うのみだ。死ぬる時も、名もなく死んでいく。それでよしと思った者だけが、ここに集まった。報われることは、なにもない。人々の心の中で生き続けることもない。ただ、私は忘れぬ、ひとりひとりを。」
(第3巻『輪舞の章』)

「志は、志なりにみんな正しい。俺はそう思う。そして、志が志のままであれば、なんの意味もない。」
(第4巻『道蛇の章』)

「闘い抜く。闘い抜かなければならない。」
(第5巻『玄武の章』)

「死ぬな。無意味な死に方をして、楽になるな。生きて、苦しめ。苦しみの中にも、必ず光はある。」
(第6巻『風塵の章』)

「馬鹿でいい。友だちを見殺しにするような男より、俺は馬鹿でいてえんだよ。」
(第7巻『烈火の章』)

「男の勝負だ。息が絶えるまでわかるものか。」
(第8巻『青龍の章』)

「女ひとり救えなくて、なんの志か。なんの夢か。」
(第9巻『嵐翠の章』)

「夢が、夢のままで終わる。それも、悪くない。その夢は、お前が受け継いでくれる。」
(第10巻『濁流の章』)

「死ぬはずがない。いま、死ぬことなどできない。これから、生きなければならない時なのだ。そうだろう。」
(第11巻『天地の章』)

「勝つしかないのだ。耐えよ。闘え。そして泣くな。伏す者は、去れ。嘆く者は死ね。ひとりひとりが、自らの足で立つのだ。」
(第12巻『炳乎の章』)

「私は、生きていると思いたい。その思いを、全身で感じたい。私を圧倒するような敵と、全身全霊で闘ってみたい。」
(第13巻『白虎の章』)

「私は酔っている。自分を失って、後悔はしたくない。私は正気の時に、おまえを抱きたいと、しっかり言うつもりだ。断られたら、それはそれでいい。恥をかくのも、男の仕事だろう。」
(第14巻『爪牙の章』)

「自分には同志がいる。男は、志に生きるのである。女に生きるのでもなければ、銀(かね)のために生きるのでもない。まして、出世や名誉などなんの価値もなかった。」
(第15巻『折戟の章』)

「男はのう、いい女を見つけたと思いこむと、執着する。無様なほどにな。いい女など、惚れた本人がそう思えばいいことだが、そばで見ていて、嗤いたくなることがある。本人だけが、いい女だと思いこんでおるのよ。駄目な男は、駄目な女に惚れる。いい男は、いい女に惚れる。」
(第16巻『馳驟の章』)

「兵は、数えたくないほど死んだ。いま、ここで泣いてもよいか。」
(第17巻『朱雀の章』)

「生涯に一度ぐらい、女を助けた男になりたい。俺は、女の命を救いたいのだ。女の命も救えない男に、俺をしないでくれ。俺でも、女を助けられる。助けられる。救える。」
(第18巻『乾坤の章』)

「俺は生きてやる。生ききって、この世に光があるのかどうか、この目でしっかり見届けてやる。」
(第19巻『旌旗の章』)

いいねぇ。僕もこんな台詞を言ってみたい。
この小説を読んでいるとき、僕は何度も涙した。
北方水滸伝の特徴の一つとして、早い段階から戦死者が現れる、ということがある。原作では、108人の仲間は全員が揃うまでは誰も死なないが、北方水滸伝では、108人集結を待たずに、次々と漢達が死んでいく。その度にボロボロと泣いてしまった。
小説の登場人物が死んでしまうなどというはよくある話で、そのことで泣くなんて、そんなにあるわけじゃない。しかし、北方水滸伝の漢達はあまりに生き生きしていて、格好良くて、そんな奴らが死んでしまった時には、涙せずにはいられないよ。
それは読者のみならず、作者もであったようで、北方謙三も、自らのペンが彼らを死に追いやったにも関わらず、登場人物の死をとても悲しんだという。
ともかく、この北方水滸伝、既に多くの人に読まれている作品だが、今回のフェアで新たに読んでくれる人がいたら、僕もとてもうれしい。