まぁ、しかたがない。

長くなってしまったので、全部読む人は少ないだろうが、最後のジョークは是非見てほしい。

やぁ、こんにちは。
さて、ここのところも面白いこと、面白くないこと、いろいろとありましたが、今日は面白くない話を。
お盆、でしたね。なんでも、亡くなった人たちが帰ってくるらしいじゃないですか。
うちの家でも、亡くなった養父やその他先祖のみなさんを対象とした法事が行われたらしいです。
僕は出席していませんがね。
僕の見解はこうです。「私はこの度の法事開催については強く反対する意見であり、一族のトップとして最終決定権を持つ私が拒否すれば、法事が開催されないのはルール上当然のことである。しかし、開催を望む声が多くあるため、私自身は一切関わりを持たない、非公式行事として開催を黙認する。」
僕は大嫌いですからね。法事は。
世間一般の価値観からすると、僕はとんでもなくズレているでしょうね。そして、多数派の考えが正義であるならば、僕は極悪人だ。
おそらく、僕の考えを述べても、共感する人はいないでしょう。しかし、そこに何の問題もない。
なぜ、僕が極度の法事嫌いか。もちろん理由がある。
その人が生きている間にしてあげられることが全てであり、死んでから何をしても、それは自己満足でしかない、と僕は思います。
人間、生きててなんぼだぜ。
僕は、養父が病を得てから、その呼吸が止まる瞬間まで、自分にできることを考え、実行してきました。そして、養父はそれを喜んでくれた。死に対する恐怖は当然すさまじかったでしょうし、癌でしたから、痛みもかなり酷い中にあってです。それでも、喜んでくれた。養父と僕にとってはその時間こそ大事だったわけです。養父亡き今、僕が何をしようと、養父が喜ぶことはない。
死んだ人間が喜んだりしますか?喜んだり悲しんだりできなくなる、それが死ぬということじゃないんですか?
それなのに、生きている人間は、死んだ人間が喜んでるとかなんとか、勝手なことを言う。死人に口が無いことをいいことに、自分に都合の良い話を作り上げる。
卑怯じゃないですか。
養父の葬儀の喪主挨拶で、「本日は多くの方々にお集まりいただき、亡き養父も喜んでいると思います。」と言ってしまったことは、今でも後悔しています。気が動転していたなんて言い訳だ。僕の生涯の恥だ。
僕も、これまで養父以外にも、いろんな死を見てきました。中にはその死に自分の責任を感じるものもある。そのような死を想う時、すさまじい後悔と自己嫌悪に襲われるし、今でも、のたうち回って苦しむ。
「死んだ人間は僕に責任があるなんて思っていない」とか、「こんなことを死んだ人間は喜んでいない」とか言えば、楽にはなれるでしょう。でも、そういうのは嫌なんだよ。発言できない人間の意見を自分の都合のいいようにでっち上げるなんて、アンフェアでしょう。
もちろん、これは、僕が勝手に考えて勝手にやってることだ。人に同じようにしろなんて思っていない。
ともかく、その人の死後にやることは、死者のためではなく、生きている人間のためでしかないんですよ。
そういう場も必要かもしれない、とは思う。残されたものが慰められる場も。
しかし、僕がこれまで見てきた法事は、あれは、免罪符だ。死者がまだ生きていた頃、死に向かいつつある頃、何もしなかった、あるいは残酷な仕打ちをした、そういう人間が、法事に出さえすれば死者を弔ったことになり、死者の意見を自分の都合のいいようにでっち上げ、それまでしてきたことが全て許される。それはおかしいよ。だから、嫌いなんだ。法事に参加する人間に言ってやりたい。「お前達は、死者がまだ生者だった頃、何をしてきた?」、と。
普段は信じていないくせに、こういうときだけ、仏教を引っ張り出してきて、いかにも死者のためになったかのような顔をしている、そういう連中が嫌いだ。普段は死んだら天国に行くとか言っておいて、法事となれば、極楽浄土に行ったことにする。そうかと思えば、千の風になって空を飛ぶとか言い出して、挙げ句の果てには、スピリチュアルとやらに騙されて、人は死んでも生まれ変わるとほざく。どう考えたって矛盾してるだろ。どんだけ頭が悪いんだ?
だいたい、天国だか極楽だか言ってるやつは、とっとと死ねばいいんだ。この世には人が余ってる。
僕は養父の墓参りに1度も行ったことがない。法事の開催についても、いつも大もめになり、僕は決して参加しない。それでいいと思ってる。
特別なことなんかしなくても、養父のこと、これまで見てきた死者のことを忘れたことは1日たりとも無い。
これはほぼ確信を持って言えることですが、僕は長生きしないでしょう。明日死体になっていても、それは特別なことではない。まぁ、僕は生きていることを楽しんでるので、死ぬのは先延ばしにはしたいけどね。したがって、ここを覗いた何人かも僕の葬式に出るハメになるでしょうね。その場で、発言権の無い僕の意見をあれこれ作られるのは、愉快な想像ではないな。
葬儀は、世間体もあるだろうから、やらないわけにはいかないでしょうが、シンプルに、安くやってほしいもんだ。時間と金の無駄遣いは良くない。
ショパンは、自らの死に臨んで、「葬儀にはいい音楽だけを演奏してほしい。きっときこえるから楽しみにしているから」と言ったそうだが(演奏されたのはモーツァルトのレクイエムなど)、僕はそうは思わない。まぁ、適当にこなしてくれ。
しかし、僕が死んだときに言ってほしいジョークというものが1つある。これはきっとウケると思うよ。
「まぁ、しかたがない。どのみち、あの男に3000本もヒットが打てるわけじゃなし。」