スズキイチロウの星

僕は、多くの人が人生においてやりたいと思っていることに対して、熱意が無い。
出世、金持ちになる、結婚、子供を持つ、その他いろいろ。
しかし、そんな僕にも人生でやりたいことはいくつかある。
その中の1つがSF小説を書くことだ。
今日はその話を。
SF小説を書くといっても、別に直木賞を狙おうというわけじゃない。笑。ただ、自身の楽しみのために。
少々恥ずかしいのだが、実は、第1作のタイトルとおおよそのストーリーは決まっているんだ。
タイトルは、「スズキイチロウの星」、という。
あらすじはこんな感じだ。
今からそう遠くない未来の話。
地球では、飽きもせず、異なる国、人種、思想、などなどの間で戦争が行われている。
戦争を止めるための話し合いは全て失敗に終わる。
そこで、人類は分かり合うことをあきらめ、且つ、戦争を止めるための行動に出る。宇宙の様々な星を開発し、1つの国に1つの星、1つの人種に1つの星、1つの思想に1つの星、…といったように、異なるものが同じ星の中に存在しない状態を作りだそう、というのである。
多くの調査隊が人類が住むことのできる星を探しに宇宙船で旅に出る。
そして、ある調査隊が物語の舞台となる星に到着する。それが「スズキイチロウの星」である。
スズキイチロウの星は地球にそっくりの豊かな星である。しかし、そこには先住民がいる。
その先住民達は地球人とそっくりの姿であるが、驚くべきは、その先住民達全てが全く同じ容姿をしていることである。
そして、全ての住民の名前は、スズキイチロウという。
スズキイチロウ達は姿だけでなく、持っている能力も、性格も、思考パターンも全てが同じである。スズキイチロウ達に「個」という概念は無い。
スズキイチロウの星は1つの国によって統一されており、無論、人種も思想も1つしかない。
そのため、スズキイチロウの星には戦争など無い。全ての住民が同じ思考パターンを持っているので、お互いが考えていることが全て理解できるため、彼らが争うことは無い。
スズキイチロウの星は、全ての住民の持つ財産も社会的身分も全く同じである。
平和で平等な世界なのである。
しかし、スズキイチロウには、「個」という概念が存在しないのと同時に「自分と他者との関係」という概念も存在しない。この星の住人全てが「自分」であるからである。スズキイチロウには、親も、兄弟も、友人も、恋人もいない。いるのは数多くの「自分」達だけである。
よって、他者との関係から生じる、愛情や友情といった感情はスズキイチロウには理解できない。スズキイチロウが他人に思いやりを持ったり、他人からの好意を喜んだりすることはない。この星には他人などいないからである。
他者に対して自身の思いを表現する、芸術という分野はスズキイチロウの星には存在しない。
スズキイチロウの星には、地球の野球によく似たスポーツがある。一度に参加するのは10人。地球で言うところのピッチャー、キャッチャー…といった野手が9人。そして、バッターが1人である。ゲームは、野球と同様に、ピッチャーが投げ、バッターが打ち、野手が捕る、の繰り返しである。しかし、攻守が交替したり、回が進んだり、点が入ったりすることはない。ゲームが終わるのはスズキイチロウ達が飽きたときである。同じ思考パターンを持つ10人のスズキイチロウ達は、飽きるタイミングも全く同じである。このスポーツに勝敗は無い。勝ち負けをつけるという作業は、自分と他者を区別する作業であるからである。
このようなスズキイチロウの星を地球人は調査し、報告のために地球に向けて出発するところでこの物語は終わる。
話を作る上で注意したいことは、淡々と物語を進めること、きれいごとを言わないこと、説教くさくならないこと、ハッピーエンドでもバッドエンドでもないこと。
お分かりのように、SFと言っても、光の剣を手に悪の帝国と戦うような話ではない。(そういうのも嫌いじゃないけど。)
現実の問題を考察する上で、現実を超えたSF的視点が時には有用であることは、ヴォネガットを読んで学んだことです。
ヴォネガットの小説の中で、エリオット・ローズウォーター氏はSF作家達にこう語りかける。
「きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのような○○○○でなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来を本当に気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない。きみらのようにおっちょこちょいな連中でなければ、無限の時間と距離、決して死に絶えることのない神秘、いまわれわれはこのさき何十億年かの旅が天国行きになるか地獄行きになるかの分かれ道にいるという事実―こういうことに心をすりへらしたりはしない」(カート・ヴォネガット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』より。差別的と思われる表現は筆者判断で伏せ字にした。)