今日は成人の日ですか?
あちこちで成人式が開かれたんでしょう。でも、僕は去年だったんだけど行かなかったんですよ。あれ、嫌いなんです。
断っておきますが、僕は何も成人式やそれに参加する人が悪いと言うつもりは無いんです。これは僕の個人的な好みの問題。
それで、嫌いな理由は複数あるんですが、最も大きなものは成人というものに大した実体を感じることができないんです。それで、実体の無いものに振り回されるのは僕の嫌うところです。
僕には成人することはただ行政上の立場が変わったということしか感じることができませんでした。成人したことで自分の能力が上がるわけじゃない。まだ親の扶養を受けてる身だし、他にもできないことはたくさんある。
よく言われる「成人としての責任ある行動」というのもよく分からない。少なくとも僕は未成年を理由に責任を回避しようとしたことは一度もない。それに未成年の時でも場面によっては成人した人間以上に責任感のある行動をとってきたという自負があります。そういう場面で自分以下の責任感しか持っていなかった人間に、「これからは成人として責任ある行動をするように。」と言われることは不愉快極まりなかった。
節目を大切にする、というのは分かります。僕も入学式や卒業式では気持ちを新たにします。ただ、それはそこを境にして新しい生活が始まるわけでしょう?成人式に行けば何か生活に変化があったんでしょうか?
まぁ、そんなかんじで僕は成人なんてどうでも良かったんですが、周囲に「成人おめでとう。」なんて言われ続けるのはあまり気持ちいいことじゃありませんでしたね。僕は生まれた環境に恵まれてましたから、どんなに怠けてても成人にはなれたでしょう。だから、成人になったからといって何かを成し遂げたことにはならない。祝福の言葉も最初は適当にあしらっていたんですが、なんだか段々腹が立ってきましてね。成人祝いを突っぱねて親と喧嘩になったという非常につまらない思い出があります。
結局僕が折れて成人祝いは受け取ったんですが、やはりよく分からない。僕が20歳まで生きてこれたのは僕自身よりも両親の力によるところが圧倒的に多い。それならば、僕が祝われるのではなく、僕が両親に何かの形で感謝を示した方がよっぽど筋が通っている。
文句ばっかり言ってもしょうがないですから、ここで代案を一つ。何でも、南米あたりのある地域では成人になる者は木の上にある蜂の巣を素手で取りに行く、という儀式をやるそうです。日本でもそれをやったらどうですか?度胸がつきそうだし、これなら実体がある。
さて、いろいろ分かりにくいことも言いましたが、要は僕が考えるに「20歳=成人=責任」なんてのは外部が勝手に決めたことなんです。僕はそんなものに振り回されずに、自分が何ができて何ができないのかを見極めて、成長していきたいと思っているんです。